5月1日は労働者の祭典 みんなで参加しよう
働くものの団結で生活と権利を守り、
平和と民主主義、中立の日本をめざそう!
第89回メーデーは、日本のたたかう労働運動の歴史と伝統、労働者の団結と国際連帯の流れを受け継ぎ、「働くもの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう」をスローガンに掲げ、安倍政権の暴走政治に反対し国民の共同の力を示し、憲法が生きる安全・安心社会をめざすメーデーとして決起の場として開催するものです。
県内開催場所
チラシ
メインスローガン
安倍9条改憲反対 戦争法廃止!
市民と野党の共闘で安倍政権退陣を
過労死合法化、雇用破壊の安倍「働き方改革」反対
8時間働いて普通に暮らせる賃金・働くルールの確立
なくせ貧困と格差 大幅賃上げ・底上げで景気回復、地域活性化
めざせ最賃1500円、全国一律最賃制の実現
年金・医療・介護など社会保障制度の拡充 消費税10%増税の中止
被災者の生活と生業を支える復興 原発ゼロ・再生可能エネルギーへの転換
安倍「教育再生」反対 STOP!戦争する国づくり 辺野古の新基地建設反対 オスプレイの全国配備・訓練反対 核兵器禁止条約の批准を。
メーデーの起源
メーデーは、1886年5月1日、長時間労働に苦しめられていたアメリカの労働者が、8時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行ったことが起源です。
当時は12~14時間労働が当たり前でした。このため、アメリカの労働者は「8時間は仕事のために、8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」とたたかい、8時間労働制をかちとりました。
しかし、運動の中心地だったシカゴでは5月4日、ストライキ参加者を武装警官が襲い、多数の死傷者が出たのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。
そこで、労働者側は、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけます。これにこたえて、労働組合・社会主義運動の国際組織だった第2インターナショナルは89年7月の創立大会で、この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定。翌90年に各国で第1回メーデーが実施されます。
日本では
日本では、1920年5月2日(日曜日)、上野公園で5千人が参加したのが最初です。
その後、戦前のメーデーは1935年の第16回まで各地でとりくまれましたが、36年の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止されました。
戦後は、1946年の第17回メーデーから復活。東京では“人民広場”とよばれた皇居前広場に約50万人が集まり「民主人民政府の即時樹立」「食える賃金を」などを決議しました。
サンフランシスコ講和条約発効直後の1952年の第23回メーデーは、皇居前広場へ向かおうとしたデモ隊と警官隊と衝突し「血のメーデー事件」が起こりました。