トピックス−行事案内
【17.04.06】第88回 メーデー
労働者の祭典 みんなで参加しよう
働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう
各地開催場所
メインスローガン
戦争法廃止 立憲主義、民主主義を取り戻せ!
明文改憲反対 市民と野党の共闘で安倍「暴走」政治STOP!
なくせ貧困と格差 大幅賃上げ・底上げで景気回復、地域活性化
いますぐどこでも最賃1000円に 全国一律最賃制の実現
安倍「働き方改革」反対 なくせ過労死 8時間働いて暮らせる賃金を
年金・医療・介護など社会保障制度の拡充 消費税10%増税の中止
さらなる市場開放と主権侵害を招く自由貿易の拡大反対
被災者の生活と生業を支える復興 原発の再稼働反対、原発ゼロの日本
南スーダンからの自衛隊即時撤退 共謀罪創設反対 特定秘密保護法の廃止
安倍「教育再生」反対 辺野古新基地建設反対 オスプレイ全国配備・訓練反対
核兵器全面禁止条約の実現
メーデーの起源
メーデーは、1886年5月1日、長時間労働に苦しめられていたアメリカの労働者が、8時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行ったことが起源と言われています。当時は12〜14時間労働が当たり前でした。このため、アメリカの労働者は「8時間は仕事のために、8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」とたたかい、8時間労働制をかちとりました。
しかし、運動の中心地だったシカゴでは5月4日、ストライキ参加者を武装警官が襲い、多数の死傷者が出たのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。
そこで、労働者側は、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけます。これにこたえて、労働組合・社会主義運動の国際組織だった第2インターナショナルは89年7月の創立大会で、この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定。翌90年に各国で第1回メーデーが実施されます。
日本では
日本では、1920年5月2日(日曜日)、上野公園で5千人が参加したのが最初です。
その後、戦前のメーデーは1935年の第16回まで各地でとりくまれましたが、36年の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止されました。
戦後は、46年の第17回メーデーから復活。東京では“人民広場”とよばれた皇居前広場に約50万人が集まり「民主人民政府の即時樹立」「食える賃金を」などを決議しました。
1952年第23回メーデーは「血のメーデー事件」といわれる、警官が2名を射殺する惨事となった。